匡志君から次のメールが届きました。2005年11月22日
「自民党の「夢づくり道場での講演」を終えて

私もおそらく勤務医をしていたら確かに給料も高く何不自由ない生活を営んでいたのかも
しれませんが、ストレスで息が詰まっていたかもしれません。特に大学病院というところは
封建制度の旧態以前で動いているところですから。。。この仕事に自分から求めて着いた
わけではありませんが、こうなるのも運命なのかもしれません。
まだ、この先私にもどのようになっていくのかわかりませんが、貧しい人や困っている人の
ために活動を続けるのは、まったくお金にはなりませんが、それでは得られない何かがある
のではないかと考えています。ボランティアを聞くととても聞こえがいいかもしれませんが、
実際には本当に地道な活動の連続です。たとえ正しいことをしていても、現地の人たちに誤解
され、苦境の立たされることもありました。でも今までハートで訴え続けてきました。いつか
は心が通じ合えると。。。海外で活動するときに一番注意しないといけないのは日本の常識を
もちこまないことです。国々によって、言葉も違えば習慣もちがいます。まずはそれに馴染む
ことからはじめなければなりません。それには最低3年はかかるのではないかと最近は感じて
います。(石の上にも3年ですね(^^;)
叔父さんも体調がすぐれないにもかからわず、いろいろと私の活動を陰ながら支援していただき
本当に頭が下がる思いです。かたやベトナムに行き始めた頃、大学では『どうしてベトナム?』
『なんで?』とよく哀れみというかさげすみというかそういう目でみられていました。今でも
そんな目で見る人もいます。たくさん給料をもらっていても無視する人もたくさんいます。
最初はとても悔しかったですが、今では全く気になりません。それは彼らには私のやっている
ことが全く理解ができないからだとわかったからです。

私は浪人時代、中ノ島図書館で勉強しているときにあれは3浪目の時でしたか、もう勉強が嫌に
なって逃げ出したくなりそうになったことが何度かあります。そんなときに図書館内をふらふら
していると偶然にもある本に出会いました。 それはマザーテレサの本です。 何の欲もなく、
困っている人を見たら身分に関係なくその優しい手を差し伸べている姿に感動しました。お金が
なくて、食べるものもないけれど、そんな中でも自分の食べる分を子供に分けていました。世の
中にこんな人がいるのだなって驚きでもあました。その写真をみて何度も涙を流しました。こんな
ことで弱音をはいちゃ罰があたると何度も自分を恥ずかしく思いましたし、とても勇気つけられ
ました。 今の私のやっていることはその足元にも及びませんが、ほんのすこし彼女の気持ちが
わかるような気がします。お金じゃないんですね。そんなハートを忘れずに今後も活動を続けて
いきたいと思っています。
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